道路冠水・床下浸水【函館市昭和町/住民の声1】

冠水したのは、いわゆる抜け道的な道路で、
入り組んでわかりずらい場所だが交通量が多い。
ただ、近くに道路があるわけではなく、
ふだんは洪水などは想像できない場所だ。
(ただ近隣の空き地が、谷地のような風景になっている)
周辺の人の話から、ここは水害の多い場所だということがわかった。
現場に集まってきた人々に話を聞いた。

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◆冠水があった道路。すこし低くなって水が集まりやすそうだ。


【荒木(アラキカズトミ)さん】
※今日の昭和町の洪水で床下浸水の被害を受けた。
 10時40分ころにインタビュー。ICレコーダーによる録音。

---道路の冠水に気がついたのは?
「今朝の8時ころですね。朝がた雷と強い雨だったから、この辺は排水が悪いので、もしかしたらと思っていました。家の外に出てみると、すでに道路にあふれた水が家の敷地にも流れ込んで、玄関は水浸しの状態でした。それから、じわじわと水かさが増して、今がいちばんひどい状態です。」

---ここは頻繁に水があふれる土地なんですか?
「ここ十年くらいは、近くの小田嶋川の改修もあって、ここまでひどいことはなかったのですが。一気に雨が降ると、大きな水たまりができる場所ではあります。
 昭和47年(1972年)にこの場所に家を建てましたが、それから3〜4回ほど道路に水があふれたということがありました。住宅への浸水は二度目で、前回は床上浸水をしました。」

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◆荒木さんの自宅裏手。隣(右手)の敷地も水浸しだ。

---洪水に気がついて、どんな行動をとられましたか?
「これまでの経験がありましたから、自費で(排水)ポンプを購入したり、土嚢を用意していましたが、どんどん水かさが増して自分たちではどうしようもなくなりまして。孫も家にいたものですから、どんどん不安になってきますし。それで、警察と消防に電話しました。函館市の土木部にも電話をしましたが、市内のあちこちで洪水がおこっていて、すぐには手がまわらない、仕方ないと言われました。」

---消防は10時半くらいに到着していましたよね?
「今回は助かりました。いつもだと、消防も警察も市もぜんぜん来てくれなくて。水が引いたころに、ようやく来るような感じで。でも、今回は消防の方が一所懸命に作業してくれていますから助かります。」

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◆荒木さんご夫婦と消防署員(右)

---家の中はどうなっていますか?
「さっき畳をあげてみたら、すぐ下に水が流れ込んでいました。天気が良くなったら、畳を干さなくちゃねと家族で話をしていました。あとで市に電話をして、消毒に来てもらはなくてはと思います。トイレもいっぱいになっていますから。」

---これまで、市などに対策を求めていたのですか?
「なんども市には足を運びましたよ。それに地元の市議会議員にも、どうにかしてくださいと伝えているのですが。ここは市街化調整区域で、そういう対策は難しいと言われて、そのまんまです。今回は、この状況で消防や警察が来ていますから、それが被害の証拠になってますよね。いつもは、ほんとに知らないふりみたいなもんですよ。誰も助けてくれないんです。」

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◆水浸しになった自宅の庭から、消防による排水作業を見守る荒木さん。

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コメント(1)

函館市でも冠水したんですね。大沼公園駅前の交差点も朝、冠水していました。役場の職員などは来ていないようでした。また、消防による排水もしていませんでした。

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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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