大晦日は夫婦双方の実家を巡って年越しをする。
午後7時、まずは僕の実家へ。末の弟が札幌から帰函していた。
ふだんは両親二人暮らしの実家。
お寿司、タラバガニ、鶏肉(名古屋コーチン)、ポテトサラダ、いくら醤油漬け、くじらベーコン、スモークサーモンなど。
とくに年末らしくもないメニューで、ビールをぐいぐい飲む。
毎年恒例のお年玉くじ引きを開催。
母に五千円、父に二十円(最終的に五千円追加)、弟に四千円。
◆くじら汁(高山家):父の実家が松前町(館浜)ということで、幼いころから正月の定番料理。母は年末にならないとレシピを思い出せないと言っていた。
妻の実家にタクシーで移動。運転手さんにもお年玉を渡す。
午後10時すぎ。外は大雪。
妻はひとり娘なので、こちらの実家も両親二人暮らし。
毎年、一緒に飲む叔父さんとも合流。
お刺身、馬肉の味噌煮込み、いなり寿司、里芋の煮つけ、根菜きんぴら、もやしとピーマンのサラダ、エビチリ、カレイの煮つけ、ゆり根のゴマ和え、お蕎麦など。
焼酎をぐいぐい。いちおう紅白の勝敗を確認。
午前4時半、ようやくお開き。
タクシーに乗り込んだら、
「明けましておめでとうございます」の声。
◆くじら汁(小野家):母方の実家が函館市亀尾なので、くじら汁はやっぱり昔からの正月定番。しいたけの味がアクセント。
お正月の定番料理「くじら汁」を知らない人のために、
以前雑誌に寄稿した「くじら汁」の原稿を一部転載します。
(初出:「島へ。」2004年1月号)
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正月も三日を過ぎ、大鍋にどっさりあったはずの「くじら汁」が、もう鍋底に少しだけ、汁もすっかりなくなっているのを見ると、いつも寂しい気持ちでいっぱいになったものだ。
北海道南西部では、とくに海岸線の町々で、正月料理として「くじら汁」をつくる。もともと、この地方ではクジラを漁して食べることはなかった。クジラは前浜へニシンを追い込んでくれる魚(動物)であり、漁師たちはそのクジラを「えびす」と呼んで尊んでいたらしい。縁起の良い魚だったのだ。だから、江戸時代の松前藩では、クジラの捕獲は禁止されていた。もしなんらかの原因でクジラの死骸が浜に寄ると、それは無駄にすることなく、油をとって肉は干して大切に塩蔵した。
ではなぜ「くじら汁」が正月料理になったのだろうか。それはたぶん、縁起の良く、しかも大きなカラダをしたクジラを食べることで、今年一年の大漁(だいりょう)を願うという漁師たちの思いが発祥なのだろう。もちろん、塩蔵品であるから、冬の保存食であったのも確かである。「くじら汁」には、クジラとともに大量の山菜が入るのだが、その山菜もまた春や秋に山々で収穫したものを樽に入れて塩蔵しておいたものだった。
さて、この「くじら汁」、大きな鍋で大量につくり、正月中に食べ続けるのが「きまり」である。料理ができあがると、大鍋は台所とか玄関口とか、とにかく寒いところへ置いておく。すると、昔の家はすきま風だらけである。大鍋に氷が張ってしまうのだ。その氷った「くじら汁」を、食べる分だけ氷を割って小鍋に入れ、その都度煮立てて食べていく。「くじら汁」は、氷ることによって、まさに味が「凍(し)」み、どんどん美味しくなるという具合である。
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いまでは、それほど凍れることがなくなった函館。
鍋が氷ることはないが、
正月中に食べるご馳走であることは変わっていない。
◆くじら汁(鈴木家):妻が師事している書道の師匠の家にて撮影。キャベツが入っていて優しい甘みのある味付け。
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