日記:3月30日(ばばちゃんの命日)

3月30日(月)
10時、カメラマンの及川さんに電話。
11時に北ふ頭。
北日本海運の高橋さんの案内で、青函フェリー「あさかぜ21」の船内を見学
というか、パンフレット用の撮影だけど。
13時、ふたたび北ふ頭。函館大妻高校福祉科の先生が、
「あさかぜ21」のバリアフリー設備を見学。
来月3日に第2回移動介助講習会があるので。
14時、五稜郭「函太郎」で星野さんと待ち合わせ。回転寿し。
まぁ、カキ軍艦巻きがうまかったかな。
店を出て星野さんとは別れて、東山墓園線を北上する。
ラブホの看板をチェック。休憩半額とか、サービスタイム2200円とか。
安くなったなぁ。とか独り言をしているうちに、第1・東山墓園に。
今日は母方の祖母の命日なのだ。

一緒に暮らしていて、中2の春休みに急死した。
老人会の帰りに神山の見知らぬお宅のトイレで倒れていた。
夕方、電話があって、母が「かあさんが倒れたって」と取り乱してたっけ。
その家に行くと、ばあさんはトイレの床に寝そべっていた。
急に具合が悪くなってトイレを借りたらしい。
意識はあるものの、クルマに乗せて病院へ連れて行くレベルじゃない。
119番。はじめて救急車に乗った。
神山からはもっとも遠い市立函館病院(当時は弥生町基坂横にあった)へ向かう。
いま思えば、脳梗塞とか脳溢血とかって、
秒単位の処置を急ぐ病気だったんだよなぁ。
18時くらいから救急救命。40分くらいして病室へ移動。
医者に「ひどい糖尿病ですよ」と言われてたな。
病棟が複雑で、暗くて、いやな病院だなって感じたっけ。
当時、フェリーの機関長だった父に電話。
いったん家に帰って着替えやら保険証をもって来なくちゃね、
と母が今後の対応を整理しているうちに、
なんだか心電図の様子がおかしくなっていた。
ナースコール。心臓マッサージ。
母はかすれ声でかあさんかあさんと叫んでいた。
俺はよくわからないまま、ばあさんの足を触りながら、
死んだら冷たくなるんだろうか、お葬式になったら塾の春講習にいけないなとか、
そんなことを考えていた。
医者が看護師に聞く。「19時9分です」。
ばあさんはあっさり死んだ。母と祖母はよくよくケンカする親子だった。
ってなことを、毎年思い出す。
たしか大正10年くらいの生まれで、69歳で亡くなったはずだ。
不信心で仏壇にも墓にも手を合わせない俺だが、
なぜか戒名はきっちり覚えている。光妙誉蓮楽邦大姉。
翌日の朝早く、本通の実家から父親と一緒に、
ばあさんの倒れた家まで歩いた。クルマをおきっぱなしだったからだ。
雪はもうとけて、それほど寒くもなく、空気は春の香りだった。
「いつもと同じだ」「ああ」

そう言えば、ばあさんは重度の糖尿病だったくせに、
よくよく大福とかニヤニヤしながら食べていたような気がする。
どうせ早死にするなら、もっともっと甘いものを食べればよかったのに。
16時、事務所に戻る。
じみじみとお仕事。
22時半、仙石くんと湯の川「一文字」で夜食。
この世の老害の話などをする。大人の対応って大切だ。
ローソンでビールを買って帰宅。
体が冷えていたので入浴。ビール。すぐに就寝。

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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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