糖尿病入院日記:逃した治療のチャンス

反省をふくめて、過去の体の状況を振り返ってみようかと思う。

これまで2度に渡って通院・治療のチャンスがあったのだが、
いずれも生来の怠惰な性格が遺憾なく発揮されて、
2カ月くらいで挫折している。その後は放置プレイ。投げやり人生だったわけだ。
そのわりには、過去の検査結果などをしっかりファイリングしていたりする。


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2003年12月
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函館稜北病院
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 当時、函館で創刊された週刊求人誌のお手伝いをしており、そこに掲載する記事を書くために函館稜北病院を訪れた。廉価な健康診断があるというので、30歳にもなったことだし受診してみることにした。その結果である。

体重 108.9kg
最高血圧 170
最低血圧 98

GOT 95
GPT 184
γ-GTP 393

総コレステロール 222
中性脂肪 117

尿蛋白 3+

 このときは、これから生活を改めなければ糖尿病になりますと言われた。食事と運動を進められて、栄養指導も受けている。糖尿病の恐怖と治療に関する資料をたくさんもらった。今回の入院が決まって改めて読み直してみた。
 たぶん2〜3回ほど通院して、待ち時間がかったるくなって行かなくなった。その後、放置。当時は30歳になって、物書きとしていろいろ覚悟をし直した時期で、ぎらぎらと貪欲に忙しかったのだ。


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2005年8月
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五稜郭循環器泌尿器科
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 ちょうどこのころ頭髪諦観の境地に達した。最初は12mmとか。
 この年は戦後60年ということで、道新さんの紙面でずいぶんと関連記事や企画をやらせてもらった。生意気に仕事を整理しだして、金銭面では漸減だが、仕事の内容は充実していた。この年の秋から「ふっくりんこ」の取材もスタートしている。海藻アートの活動も積極的に展開していた。
 通院のきっかけは腰痛だった。FMいるかさんの広報誌の仕事で、船に乗って函館の海岸線を海から撮影してレポート記事を書くことになった。そのとき、カメラ片手にボートの上で踏ん張っていたら、腰がピキッときたのだ。それで、今は閉院した宮崎整形で診てもらった。そのとき、なぜか採血をされて、医師から「腰なんかより内科に行きなさい」と言われて、紹介状を持たされた。あんまり待ち時間が長くない病院を希望したら、五稜郭循環器泌尿器科を紹介された。
 たしかに、なんとなく体調がすぐれなかった。頭痛に悩まされていた。最大体重もこのころである。

体重 114.1kg
最高血圧 190
最低血圧 86

GOT 81
GPT 151
γ-GTP 272
LDH 257

総コレステロール 269
中性脂肪 190

尿蛋白 3+
尿糖 3+

血糖 228
HbA1c 8.2

 糖尿病ですと言われる。このときの主治医がおもしろい人で、糖尿病の話から「天明の飢饉」まで話題が広がった。覚えている限り再現してみる。
 「日本人は粗食に耐えてきたんです。江戸時代に天明の飢饉とか天保の飢饉とかがあって、ほんとうに少ないカロリー量でも生きていける体を長年かけてつくってきたわけですよ。だから現代の食生活に、昔ながらの日本人体質は合っていないの。欧米人を見ると、高山さんよりずっと太っている人でも糖尿病じゃなかったりします。それは、日本人に比べて欧米人が高いカロリーを摂取できてきたからなんです。そういう食事に慣れているわけです。多くの日本人は、幾度となくおそった飢饉に耐えて生き残ってきた人の子孫なんです。たぶん高山さんもそうです。だから、飽食の時代をそのまま享受していると、はっきり言って生き残れないんですよ。糖尿病になると精力も減退します。つまり、うまく子孫を残せなくなる。ある意味で淘汰されてしまうわけです。」
 そんなことを言われたので、3カ月ほどまじめに通ってみた。このときも栄養指導を受けて、食事療法のバイブル「食物交換表(第6版)」も購入している。ちょくちょく散歩に出かけていた。通院中に4kgほど減量し、数値(血糖値・HbA1c)も改善の傾向に向かった。なにより血圧の薬を処方してもらっていたので、それまで頻繁だった頭痛もおさまり、だいぶ体が楽になった。そうなると、楽観気分があふれてきて、いろいろ理由を付けて診察を先延ばししているうちに、とうとう行きにくくなってしまった。その後、華麗に放置。


そして、2009年6月を迎えることになる。

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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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