◆米軍機によって撮影された昭和20(1945)年7月14日の「函館空襲」。
◆先代の函館駅舎や棒二森屋本館(屋上に対空高射砲を設置)などが見える。
(以前、函館市市史編さん室で複写提供してもらった写真。いまはたぶん函館市中央図書館に所蔵されているはず。)
7月14日・15日の北海道大空襲では、青函連絡船をはじめとする青函航路にあった船舶へ激しい攻撃がおこなわれた。函館では連絡船桟橋および函館駅などが爆撃された。函館ドック周辺、駅前(大門)の商店街などにも爆弾投下と機銃掃射があり、この空襲による死者が出ている。つい先ごろも、浅利政俊さんの丹念な調査により、下海岸方面(旧戸井町など)での空襲の死者が新たに確認されている。
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敗戦記念日ということで、
戦後60年の年に書いた文章(8月15日に広告として掲載)を再録。
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敗戦の記念日に
むかし、祖母は地球儀をくるくる回しながら、小学生の私にこんな話をしました。
「日本は小さな国だけど、いちばん良い国なんだよ。わかるかい。だってね、戦争のない国なんだから。戦争に負けて、たくさん人が死んで、それでもう、戦争は絶対しないって決めたのさ。だから、日本は戦争に負けて良かったんだね。」
その言葉を聞いた私は、戦争に負けた日本・戦争をしないと決めた日本を誇りに思い、自分が日本の国民であることをすごく嬉しく感じたのでした。
日本が戦争へ向かった背景には、複雑な理由がからみ合い、単純に「誰かが悪かった」「何かが悪かった」と断定できないのかも知れません。しかし、他国を 侵略したこと、その国の人たちから尊厳を奪った数々の行為には、それを正当化するいかなる理由もありません。また逆に、巻き込まれるしかなかった多数の日 本人を、非道な爆撃によって苦しめた国も、それを正しい行為だったとは考えてほしくはありません。戦争の当事者はどんな立場であれ、それぞれの犯した過ちに対して真摯に反省を重ね、二度と同じ間違いを犯さないための努力を続けるべきだと思います。
人を殺すことも、人に殺されることも、どちらもひじょうに辛いことであると、私は想像します。だからこそ、私はそれが「戦争によって辛い思いなどしたくない」というだけの理由ではありますが、平和を求め訴えることに躊躇はしません。
ものかき工房 高山潤
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