糖尿病と暮らす日々:8月2日(立ち読みダイエット。)

8月2日(日)

8時半ころ起床。体重測定97.8kg。
もうひと押しなんだけどな。

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◆朝食。9時半。右上のバターは食べていない。

食パン1枚(2単位160kcal)、ゆで卵(1単位80kcal)、ルバーブジャム。
荒めに切ったキャベツの千切りが朝にぴったり。

11時、なんとなく長崎屋へ。

僕たちの世代にとって、長崎屋はワンダーランドだった。
(と書いてみたが、ワンダーランドの原義はよくわからない。)
ごく幼少時(昭和40年代末)は、お出かけと言えば大門である。
「さいか」の屋上で遊んだ後は、フタバヤでラーメンを食べ、ソフトクリームも舐める。
手をべとべとにしながら。
2〜3歳のころに赤川町(赤川通町)へ引っ越した。
引っ越した記憶はないが、赤川の家や周辺の記憶は残っている。
父は30歳を前にして、建て売りながら一戸建てを購入したことになる。
原野に家が十数軒建っていた感じだ。あくまで記憶のみを頼りに書いているが。
幼稚園(亀田ゆたか幼稚園)の夏休み前に本通に引っ越した。
これは覚えている。今度は新築である。
当時、ボーニミサワホームというハウスメーカーがあり、そこで建てた。
父は30歳そこそこで新築を手にしたわけである。つくづく船員の稼ぎはすごいもんだ。
この前後に、5歳下の弟が生まれている。
本通(当時の住所は本通町356。その後、本通4丁目27に変わった。)は、
いも畑を住宅街にした街だ。農住団地と呼ばれていた。

・・・農住団地(のうじゅうだんち):『函館市史 通説編第4巻』から引用(一部編集)
 大団地として造成されたのが、五稜郭公園の裏手、本通地区の「亀田中央団地(農住団地)」である。「″安値が花″の人気」を博したこの団地造成は、函館市本通中央土地区画整理組合が施行した。本通地区の農家などが休耕田や原野を供出し、農地の切り売りを防ぎ、団地造成による土地の付加価値を高めて、離農農家の収入の安定を図るのがおもなねらいであった。
 約48万平方メートルにおよぶ水田などが約1200区画の宅地に造成されていった。さらに小学校、中学校の開校や公園、保育所の開設、道路、下水道の整備にともなって追加造成がなされ、最終的に約50万9000平方メートルの水田地帯がベットタウンに生まれ変わった。
 このような住宅団地の造成は、昭和30年代から40年代にかけて函館市内の農地の約2割を消滅させ、景観も大きく変わった。

つまり、僕はいわゆるニュータウンで育ったわけだ。
実家のあるあたりは、その北側の端に位置していたた。
そのめか、区画(道路)はわりと乱雑で、行き止まりや袋小路がたくさんあった。
周辺は住宅よりも畑の面積の方が広かった。
実家の前は、素晴らしい黒土の道路で、雨が降るとよくぬかってすべった。
近くを流れる鮫川には、戸板のような橋がかかり、手すりさえなかった。
蒸気機関車(D51)が展示された大きな公園があり、その隣に生協と農協があった。
実家の2階の窓や屋根からは四方を見渡せた。
高い建物は公園の前にあった市営団地と五稜郭タワーくらいで、
函館港と函館山を見渡せた。ドッグのクレーンが並んで見えた。
そして、小学校(日吉ヶ丘小学校)に入学したころ、
美原に長崎屋とイトーヨーカドーが、たしかほぼ同時にオープンした。
母は長崎屋の正社員として働くことになったので、
僕はだんぜん長崎屋を贔屓にしていた。
長崎屋の看板(あのヒヨコのマーク)は大きくて、実家の窓からも見えるほどだった。
なぜか誇らしげな気持ちだったことを覚えている。

で、話はようやくワンダーランドに戻る。
長崎屋には、噴水があり、ゲームコーナーがあり、HBCラジオのサテライトスタジオがあり、
ファミリーレストランがあり、玩具屋があり、テレビ電話があり(たしか電電公社のフロアがあった)、
ロッテリアがあって、とにかくいつでも人がいっぱいいた。
迷子の呼び出しもたくさんあったもんだ。次々と。
僕は危険を犯すタイプではないので呼び出されたことはなかったが。
家族で長崎屋へ行くことはレジャーだった。
ついでに、地下銘店(東京羊羹の支店があった)で母の働く姿を見てくる。
そんな場所だった。嬉しくて、誇らしくて、楽しくて。そんな場所だったのだ。

やはり長崎屋っ子である同世代のカミさんと、
長崎屋函館店のかつての栄光を語りあいながら店内をぶらつく。
(ここでようやく日記に戻る。)
あの安っぽいラーメンや焼きそばや粉ものを食べた広い食堂は閉鎖され、
噴水の水は枯れ、色とりどりの照明は消され、
アリス(フタバヤ)や小いけ(元祖じゃない方ね)があった飲食店街は薄暗く、
当時から生き残っている店は梅寿司だけだった。
ガンプラ(当然朝から並んで整理券をゲットする必要がある)や
ファミカセ(くるくるランドなど)を買った玩具コーナーは、かなり以前からなくなっていた。
1時間以上かけて、いま現在の長崎屋を隅々まで歩きまわった。

14時半、長崎屋から同じ産業道路沿いのプルスタテラスで昼食。
夜は焼き肉がメインだが、昼はランチメニューをどうぞ、と。
カミさんは2度ほど利用したことがあるが、俺は初めて。

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◆サラダ、冷麺、ビビンバとか。半分ずつ食べる。ふたりで2000円以下。

昭和2丁目のブックオフ。2時間ほど立ち読み。
めまいがひどくならないように、あまり背表紙を凝視しないように探書。
ふたりで20冊ほど購入する。ま、半分以上は100円だけど。

小宮信夫『犯罪は「この場所」で起こる』
鎌田寛『病院なんか嫌いだ』
『BL新日本史』『看護婦の世界』『大学病院ってなんだ』
『医師がすすめるウォーキング』『老人介護 常識の誤り』
立花隆『農協』
三宅乱丈『ぶっせん』
吾妻ひでお『ななこSOS』『オリンポスのポロン』『ネオ・アズマニア』
北尾トロ『危ないお仕事!』『怪しいお仕事!』
『新しい日本酒の話』『ビール大全』
高橋葉介『仮面少年』『夢幻紳士』
『全国アホ・バカ分布考』『ダーリンは外国人withBABY』
竹内薫『99.9%は仮説』 とか

くたくたになって帰宅。
足が痛い。体重測定をすると食後で97.5kg。立ち読みの代謝も侮れず。

木古内の東出さんから電話。
「明日も天気良くねぇから撮影は延期にすんべや。
 火曜日から鹿児島だから、金曜日で予定してみるべ。」

19時半、入浴。
ほんとうに長風呂ができるようになった。汗がたくさん出て気持ちが良い。
週刊新潮を朗読(読み聞かせ)しながら湯船に沈んでいた。

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◆21時に晩飯。

ところてん(100g4kcal)、キャベツ炒め(1.5単位120kcal)、食パン2枚(4単位320kcal)、なめこの味噌汁2杯(2単位160kcal)、たたっきゅうり。

24時ころ就寝。

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プロフィール

高山潤
函館市および道南圏(渡島・檜山)を拠点に活動するフリーランスのライター、編集者、版元、TVディレクター、奥尻島旅人。元C型肝炎患者(抗ウィルス治療でウィルス再燃、インターフェロン・リバビリン併用療法でウィルス消滅で寛解)、2型糖尿病患者(慢性高血糖症・DM・2009年6月より療養中)。酒豪。函館市(亀田地区)出身、第一次オイルショックの年に生まれる。父母はいわゆる団塊世代。取材活動のテーマは、民衆史(色川史学)を軸にした人・街・暮らしのルポルタージュ、地域の文化や歴史の再発見、身近な話題や出来事への驚きと感動。詳しくはWEBサイト「ものかき工房」にて。NCV「函館酒場寄港」案内人、NCV「函館図鑑」調査員(企画・構成・取材・出演・ナレーション)。


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