C型慢性肝炎(インターフェロン治療)による入院6日目。
函館中央病院にて。
震災の報道は止まず。
寝不足か、副作用か、頭痛がする。
体重94.4kg。
血圧128の72。
体温35.5度。
起床して、病室の窓から見える津軽海峡を見渡すと、
大津波警報を受けた入港制限で沖止めしている船が並んでいる。
昨夕から、函館にも押し寄せている津波の状況が、
少しずつ報道されてきた。けっこうな高さの波が、海岸部をさらったようだ。
7時に開店する1階のローソンで新聞を購入。
全紙とも震災を知らせる黒ベタ白抜きの大見出し。
道新は表1・表4のぶちぬき紙面だった。
けっきょく、震災直後から14日(月曜日)まで、
震災報道に気を取られて、枕元の備忘録に入院記録をほとんど書き留めず。
震災のことも書き留めず。これはツイッターでつぶやき続けていたため。
つぶやきのログって残っているんかな。
なるべく、冷静・寛容にって発言をしていたけど、
さすがに原発事故に関しては、あまり冷静でいられなかった。
被害(影響)の多寡については、ある・なしで両論両極それぞれあるが、
ありえないはずの事故が起こってしまったことは、
国民みんなが当事者として受け止めるべきことだと思う。
インターフェロンの投与から5日たって、
熱は早々に下がり、筋肉痛も落ち着いてきた。
ただ、ひとつ。
手の甲側に発疹がめだってきた。
最初は手がかゆいなー、くらいの認識だったが、
この日から肌の赤みが確認できるようになった。
◆08時12分/朝食:ご飯(180g)、魚(さば缶)、小松菜のだし和え、のり、牛乳(180ml)。561kcal、タンパク質20.4g、塩分3.2g。
仕事関連のメールをいくつか。
ホクレンとJAには、ふっくりんこ蔵部としての災害対応の検討を打診。
青函フェリーの欠航情報については、昨夜から公式ページの更新と、
ツイッターの個人アカウントをつかった準公式情報の提供をしていた。
フェリーターミナルと連絡をとると、
函館港への入港制限が一時的に解かれるという。
(青森港は先行して、その処置がおこなわれていた。)
午後からの外出では、その様子を見に行くことにする。
主治医の回診。
昨日の朝に採血した検査結果について。
目立ったのは白血球数の低下。薬の副作用のひとつ。
いつも正常の尿酸値が悪化している。
いまのところは治療継続には問題なしとのこと。
異常値だけを書き出しておく。
◆白血球数 3.8(正常値4.0〜9.0)
◆GOT(AST) 57(正常値8〜38)
◆GPT(ALT) 86(正常値4〜44)
◆γ-GTP 117(正常値0〜70)
◆LDH 228(106〜211)
◆尿酸値 8.7(2.5〜7.0)
ちなみに、入院直前の数値は下記の通り。
◆白血球数 5.1(2010年4月21日)
◆GOT(AST) 34→34→33→48→46→44→58→47→45(※)
◆GPT(ALT) 56→48→48→96→78→75→74→67→66(※)
◆γ-GTP 109→85→132→191→171→130→176→233→128(※)
◆LDH 192→207→216→243→233→214→272→265→253(※)
◆尿酸値 6.0→5.8→6.5→6.4→6.9→7.4→7.2→6.3→6.5(※)
(※)2010年4月21日〜2011年2月16日の推移
関連数値については、入院前からの推移もあったほうが比較できるので、
それらは別項にあらためて書くことにする。
数値の意味するところの解説についても。
◆12時34分/昼食:山菜ご飯(180g)、焼き魚(赤魚)、大根おろし、おひたし(おくら)、オレンジ。492kcal、タンパク質20.6g、塩分6.2g。
変化球「山菜ごはん」が嬉しい。
ふだんはまったく食べないフルーツを摂取。
オレンジはノドが痒くならないので。甘くてうまいな。
醤油の小袋が二つも。減塩でいいのに。
13時15分、外出許可をもらって浅野町の北浜ふ頭へ。
ターミナルの3階にある北日本海運の事務所から港の様子を見る。
いま、ちょうど海上保安庁の許可が下りて、入港するところだという。
◆13時20分、青函フェリーターミナル(函館市浅野町・北ふ頭)。
◆13時27分、タグボートに付き添われて入港する青函フェリー「あさかぜ21」。
ふだんは単独で着岸するのだが、今回は大津波警報・入港制限中なので。
◆13時45分、沖止め(函館港外での待機)から約23時間ぶりに下船する乗客。
乗船客には船内の非常食が提供され、お弁当なども届けられた。
この「あさかぜ21」をつくった宮城県石巻市の造船会社「ヤマニシ」は、
津波で大きな被害を受けたようだ。
進水式の撮影で訪れたことがあるのだが、
当然ながら海岸っぷちにあって、平坦な土地だった記憶がある。
14時ちょうど。
すべての乗客を下船させた船は、ふたたび港外に出ていった。
それを見届けて、青函フェリーのサイトを更新。
北日本海運の事務所は、ネット回線(KDDI)が不通で、
対応に苦慮していたようだ。
昨年、この「あさかぜ21」をつくって青函フェリーを退職した父親も、
気になるのか会社に来ていた。
なぜ、北ふ頭はなぜ冠水しないのか、と聞くと
「西ふ頭や豊川ふ頭は、もともと岸壁が低いので、
中央ふ頭や北ふ頭に比べると、津波の影響を受けやすい」とのこと。
なるほどね。
海が近いことで、港町の風情を感じられるエリアではあるが、
その一方で海(波)からの影響も直撃する場所でもあるわけだ。
今回、意外なほど大きな被害を受けた金森倉庫などが並ぶエリアは、
いまの函館観光には欠かすことができない。
安全だが無粋な護岸をつくるわけにも行かず、
また、倉庫を内陸に移すわけにもいかないだろう。
津波は来るもの、と認識して、ことがおこったときに万全の対応がとれるよう
物心両面の準備だけは怠れないと思う。
◆滞ってしまった荷物を積み替えるトラック。
◆フェリー乗り場に待機していたトラックは、この時点では30台ほど。
想像していたよりも多くなかった。
おそらく、乗船・配送をあきらめた業者も多くいたのだろう。
◆フェリー乗り場の近くにあるガソリンスタンドで給油。制限が出ていた。
まだ時間があったので、亀田港町に一時帰宅。
玄関に回覧板がぶらさがっていた。
日付を見ると、入院したその日にまわってきたらしい。
ずっと留守であると主張し続けてしまった。
せっかく新聞配達をとめてたのに。
町会ってのは、わずらわしさも感じるものの
災害や事件・事故の際に重要になってくる地域のつながりを維持するには
たいへん役立つ機能だと感じている。
ただ、情報伝達の手段というよりは、
ご近所との交流をうながす媒体としての回覧板も、
ただただ顔も見せず声もかけずに回していくだけでは、
それは無駄だと感じてしまう。
地震直後にどのような動きがあったかはわからないので、
回覧板の扱いだけを見て考えたことではあるが。
風呂に入って、緒川ラッシー(亀)にごはんをあげる。
線路(JR津軽海峡線)のすぐ側で、いつもがたがた揺れている
狭いアパートではあるが、やっぱ落ち着くもんだ。
病院へ戻る。
◆18時12分/夕食:ご飯(180g)、トンカツ、蒸しキャベツ、大根おろし、いんげん煮、すまし汁(お麩)、りんご。733kcal、タンパク質20.1g、塩分3.1g。
21時過ぎ、函館沿岸の津波警報は注意報に変わる。
21時20分、青函フェリーから電話。運航再開の報せ。
消灯時間は過ぎていたが、こっそりサイトを更新。
この日はこれで就寝。
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