3月22日(木)
函館中央病院にて六日目。
左頭が日焼けしそうだ。気温もそれなりとラジオの天気予報。
廊下の向こうから聞こえてくる声や、
カーテンのすきまから見える光景から、
医療現場の事情、そして、社会の事情が見えてくる。
高齢者向けの情報媒体をつくる仕事をしてから、
(まぁ、団塊世代の親も、じわじわじわりと高齢者に脚を踏み入れているし。)
老後とか介護とか福祉に関連する書籍をかためて読んでいる。
そのうち、病室に持ち込んだ2冊。
◆西垣千春著『老後の生活破綻 身近に潜むリスクと解決策』(中公新書)
高齢化社会における幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる。
医療が進歩したり、福祉が拡充されても、
やはり、今も昔も変わっていない根本は変わっていない、ということ。
◆大井玄著『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)
幸福度を高める準備を怠っていると、どうなるか。
その結果のひとつが、「痴呆(認知症)」ではないだろうか。
当事者、関係者、そして社会の成員として、なにができるのか。
そんなことを考えつつ読んだ。
アマゾンで、医療社会学に関連する書籍を数冊注文。
朝飯/病院でしか見たことがない梅びしお。
12時、個人栄養指導。
食事療法に関する知識は十分ということで、
失敗の原因とこれからの対応について話し合う。
とは言え、ぼくと管理栄養士で意見はまったく一致していた。
あとは、なぜか去年の4月から外来診察での糖尿病指導と食事指導が外れていたので、
(原因はよくわからないし、肝炎治療が思いのほか辛くて気がまわらす放置してた)
退院後の再開をお願いすることに。
昼飯/八宝菜のタケノコだけ残す。このカボチャうまい。
いそいで昼食。
リハビリ室で軽い運動。
エアロバイクに心拍計が付いていて、その目印に運動するという行為が楽しい。
これまでバイクには、
スピードとケイデンスだけを計測できる機器を取り付けていた。
トレーニングってほどではないので、ハートレートモニターはいらないと判断して。
でも、効率よく、かつ長く運動するには、
このモニターが重要かつ良い指針になると実感。
スピードメーターだけだと、短時間でもどれくらい速度を出せるか、
そっちに気をとられちゃうんだよね。
心拍計(ハートレートモニター)の購入を決意する。
晩飯/肉だ。すごいもんだ。痩せないよ。これじゃ。
半年ぶりに、運動意欲がわいてきたので、
(肝炎治療の影響で体力・気力ともに萎えてしまっていた)
入院中に細々準備をしておくことにする。
とりあえず、携帯電話(au)のダイエット記録系のサービスを登録してみた。
【自分史草稿(六)】-----------
祖母(母方)とはいつごろから同居していたんだろう。
両親が赤川に家を購入は、
もしかすると祖母との同居が前提だったのかも知れない。
大正生まれの祖母は、和裁(着物を仕立てる仕事)をしていた。
内職にしては、それなりに稼いでいた。
祖母の部屋に遊びにいくと、きれいな反物がいくつも広げられていたり、
竹尺やら、チャコやら、針や糸、よくわからない道具がたくさんあって楽しかった。
ただ、たまにたいへん高価な着物の依頼があるらしく、
たとえばミカンなどを握りながら部屋に入っていくと、
針を刺すよ、的な脅されかたをして、追い出された(気がする)。
母は札幌とその近郊で生まれ育ち、
あまり恵まれていない境遇を、歯を食いしばって乗り越えてきた人だ。
母の生い立ちについては、はっきりすべてを聞いたことはないが、
とくに幼少時のエピソードは書き綴るのをためらう。
とは言え、おそらく私の人格形成には、
どちらかと言えば母親の影響を受けているようなので、
きっちり対峙しておく必要があるとも感じている。
十年ほど前に、母親を石狩市八の沢に連れて行ったことがある。
母が小学校時代を過ごした場所で、かつて石油採掘がおこなわれていた。
母はよく八の沢での悲喜こもごもを語ってくれた。
そして、かならず最後に泣き出した。
石狩市に問い合わせをして、場所を確認してから訪れた。
わずかに、小学校の校門だけが残っており、
それ以外の痕跡はまったく失われていた。
とても、人が住んでいたとは思えない景色になったいた。
母は泣きながら、幼いころの思い出をぽつぽつと語っていた。
母は札幌北高校を卒業した。
同級生の多くは北大に進学していったという。
おそらく、母にも進学へのあこがれはあっただろう。
家庭の事情はそれを許さなかったらしい。すぐに稼ぐ必要があった。
たしか、北海道労働金庫に就職し、さらに松下電送機器へ転職したらしい。
そういえば、母の本棚に松下幸之助の本があった気がする。
その後、国鉄松前線で父と出会うわけである。
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