そうだ。これはもう、しめしめだ。
そう思うことにしよう。
自分がC型肝炎ウィルスに感染していることを知ったとき、
少なからぬショックを受けると同時に、ぼくはそんなことを考えていた。
というわけで、今日からC型肝炎の治療を始めます。
現状、ぼくはC型肝炎ウィルスのキャリアから一歩進んでいて、
病名として「C型慢性肝炎」と診断されています。
おもな症状は肝機能異常。
ずーっと肝臓の数値が悪かったのは、大酒だけのせいじゃなかったわけ。
いま、多くの人が「おまえは酒だろ。ほとんど。」とつぶやいた気もするが、
さっぱり聞こえなかったことにする。
C型肝炎ウィルスに感染すると、最終的には肝臓ガンを発症する。
こいつは避けることができない。
ウィルスを排除できれば、その可能性は大幅に減少する。
そのための治療として、インターフェロンの投与がおこなわれている。
治療を始めるかどうか。
こんなぼくでも、珍しく半年ほど悩んだ。というか、迷った。
そのへんのことをふくめて、
詳しくはこの日記で追々書いていくつもりだが、
その要因のひとつとしてインターフェロン治療の副作用がある。
風邪やインフルエンザと同じである。
インターフェロンがウィルスをやっつける副作用(症状)として、
まずは高熱が出る。頭痛や関節痛も多く見られる。
これは治療初期に目立つが、身体が慣れていくとおさまっていく。
そのために、インターフェロン治療を始める場合は、
最初の2週間ほど入院して様子を見るのが基本となっている。
ぼくの場合、ウィルスの遺伝子を検査した結果、
難治性のC型肝炎であることが判明したので、治療は50週間続く。
インターフェロンの投与を重ねるうちに、頭髪の脱毛もおこる。
ま、これはぼくには関係ないけどね。
ごくまれであるが、肺炎・脳出血・脳梗塞がおこる可能性もある。
そして、ぼくがなによりも恐れているのは、鬱(うつ)症状の発症だ。
ふだん無神経で厚顔無恥な暮らしをしているだけに、
ぼくに鬱への耐性が備わっているか、たいへん不安だ。
治療を始める決断はしたが、この不安は解消されていない。
酒でも飲んで憂さを晴らせばよいのだろうか。
しかし、病気治療において、気分の浮き沈みはよくあることでもある。
糖尿病の治療でも、それは経験している。
ぼくは「書く」ことで、
こころのバランスを取れるのではないかと思ってはいる。
治療を迷った理由は、もうひとつある。
それは、まさに「C型肝炎」であるからだ。
これは(日常生活において、その可能性は低いが)感染する病気である。
お恥ずかしいことだが、ぼく自身がそうであったように、
この病気へのイメージは良くない。悪い。
きっと、そういう「目」のなかで、苦しんできた患者が大勢いるだろう。
治療するからには、ぼくは糖尿病のときと同じように、
なんらかの形で記録し公開するつもりだった。
転んでも、ただで起きるのはイヤだし。
でも、公言する覚悟みたいなものを、じくじくと迷っていたのだ。
とは言え、
この病気と「闘う」なんてつもりは毛頭無い。ついでに、毛根もないけど。
現代に生まれたことに感謝しながら、
最先端の医学の助けを借りて、この病気と向き合っていきたいと思っている。
もちろん、医師と投薬に任せっきりにするつもりもない。
それで完治できるほど、お気軽なものではないことも知っている。
患者としてのぼくに課せられた役割は、
体力を維持して増強すること、
そして食生活(というより、おもに酒生活)の改善だ。
あとは飽きずにあきらめずに続けること。
そこで、しめしめである。
ものかき(職業ライター)としては、
この病気と治療の様子について書き残すことが使命だと(勝手に)感じている。
治療の結果・結末とは別に、
自分自身がどんな文章を書きつづるのか楽しみでもあるのだ。
糖尿病の治療でも強く思ったことだが、
治せる病気を「こわい」とか「めんどう」とか「いそがしい」とか、
そんな理由で先送りしてしまうのは、もったいないことだ。
いま30代後半から上の人間は、かつて日常生活において
C型肝炎ウィルスに感染する可能性があったことを否定できない。
(このへんの事情も、後日の日記でふれていく予定だ。)
まずは、かるく血を抜くだけ。保健所での検査は無料である。
自覚症状や肝臓数値の変化がなくても、
あらためて肝炎ウィルスの抗体検査を受けることを強くおすすめする。
病気の詳細については、ごく一部の人にだけお伝えしていました。
多くの人にお知らせできなかったことを、この場でお詫び申し上げます。
また、この病気についてご理解と応援をいただいた関係者に深く感謝します。
・函館大妻高等学校の池田延己校長先生。
・函館市女性センターの原田恵理子館長。
・青函フェリー、共栄運輸株式会社の北村隆社長。
・デザインルーム オバタの小畠和也さん。
・「代わりはいませんから」と番組休止をこころよく許していただいた
NCV(ニューメディア函館)のみなさま。
本当にありがとうございます。
あともうひとつ。
妻・郁子が感染していなかったことは、
ぼくにとってなにより幸せなことであった。
どんな因果か、ぼくの身体にたどり着いたウィルス。
C型肝炎とは、どんな病気なのか。
なぜ、ぼくは感染したのか。
そのことを、このブログでゆっくりと検証していくつもりだ。
そういうわけで、「問う病日記」という副題をあらためてつけた。
わかりにくいか。まぁ、勘弁してよ。
では、またあとで。
2011年3月7日
これからもうまい酒を呑むために、
函館中央病院の病室にて。
高山 潤
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