5歳違いの弟、私の自慢の弟である高山晋が、東京の自宅で急逝しました。現時点では亡くなった日時や原因は特定されていませんが、おそらく12月21日以降に異変(行政解剖による虚血性心不全という仮所見)があった模様です。
1978年(昭和53年)生まれの41歳でした。
1978年(昭和53年)生まれの41歳でした。
生まれ故郷函館や大学での学生時代、そして東京で大好きな雑誌や書籍の編集者・編集長として活動できた19年間。それぞれの場所で多くの皆さまに支えられ、あまりに、あまりにも短い時間でしたが充実した人生だったと思います。高山晋との記憶を共有しているすべての皆さまに深く感謝いたします。
12月28日に東京にて火葬を終えて、お骨は函館へ帰ってきました。両親の心労も大きく、葬儀は家族のみ執り行う予定です。皆さまのご厚意はすべて辞退させていただき、そのお気持ちだけを確かに拝受いたします。いつかお時間のあるときにでも、あいつの思い出を聞かせてください。
悲しませるくらいなら、心配や迷惑をかける方がマシだ。両親の背中を見て、そう感じた次第です。
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子どものころのことを思い出している。ふたりで一緒のタオルケットにくるまって、俺の語る即興の物語を聴いていたっけ。こちらが飽きて話を止めようとすると、もっととせがまれて無理やり話を紡ぐ。どんどん話が訳がわからなくなって、ふたりで笑ってた。
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子どものころのことを思い出している。ふたりで一緒のタオルケットにくるまって、俺の語る即興の物語を聴いていたっけ。こちらが飽きて話を止めようとすると、もっととせがまれて無理やり話を紡ぐ。どんどん話が訳がわからなくなって、ふたりで笑ってた。
やりたいことがあって、それには大卒の資格はいらないので、大学を4年目で中退すると相談されたときは驚いた。卒業くらいしとけよ、とありきたりのアドバイスしかできなかった。
その後すぐに、東京で有力な編集プロダクションに潜り込んだと聞いて、やっぱりあいつは優秀なんだなと思った。でもあとで話をしたら、卒業単位がまったく足りてなかったそうだ。戦略家であるあいつらしいやり口だ。
俺の弟は全国誌の編集長なんですよ、函館の書店にも平積みされてますから、成人向けですけど。
まるで俺の手柄のように、みんなにそうやって自慢するのが嬉しかった。すごく嬉しかった。でも、あいつの雑誌や書籍はAmazonか駿河屋で買ってたけれど。
子どものころはファミコンやPC8801で「信長の野望」や「三國志」をやりたおしてた。その隣にいつもあいつが座ってた。
近年でも帰省してくるたびにファミコンを引っ張りだしてきて、三國志2のゲーム音楽を聴きながら、横山三国志の南蛮征伐あたりの話を笑いながらするのが楽しくて。
函館で最後に会った今年八月下旬、あいつがニヤニヤしながら持参したお土産は、東京国立博物館で開催されていた「三国志展」で購入してきた横山三国志のグッズだった。最高だった。たくさんあったものを、ふたりで山分けしたのだが、これで全部俺のものになるのか。嬉しくないよ、馬鹿め。
函館で最後に会った今年八月下旬、あいつがニヤニヤしながら持参したお土産は、東京国立博物館で開催されていた「三国志展」で購入してきた横山三国志のグッズだった。最高だった。たくさんあったものを、ふたりで山分けしたのだが、これで全部俺のものになるのか。嬉しくないよ、馬鹿め。
ムーくん、ムーくん。不肖の兄にとって優秀な弟の存在は、子どもの時分には憎らしく感じることもあったが、大人になってそれぞれの分野で経験積んだ上で話をしたら、やっぱりあいつは頭がいいんだなと白旗を上げることができた。
ムーくん、その優秀な思考があれば、病気だって回避できたんだよ。
あれはいつだったか。兄弟三人でサイコロを振りながら実家の近所を散歩したな。2人が函館に帰省するたびに、俺はまたあれをやりたいなって思ってたんだ。同じ街角に、それぞれ違った思い出があったり、時を隔てても似たような記憶があったり。それは俺の執筆テーマでもあったんだ。
あいつに教えてもらった豚カツもモツ煮込みも、いつか店をめぐって食べておきたい。東京であいつと飲み歩いたのは1回だけだった。両国・森下界隈で五軒くらいハシゴして、夜道をぶらぶら散歩しながら帰った。あいつは近年お酒を飲むようになって、俺は酒をがぶ飲みできない身体になって。
あいつが小学生のころに描いた漫画「ファミコン野郎」。ゲームを取り合う兄弟の日常(闘争)が描かれ、見事に機器を奪取した弟は徹夜でゲームをする。最後のコマは顔のアップで、目が血走っていた。「目真っ赤」という添え書きが俺たちの笑いのツボだった。いつもそう言われて親に叱られていたから。
あれはいつだったか。兄弟三人でサイコロを振りながら実家の近所を散歩したな。2人が函館に帰省するたびに、俺はまたあれをやりたいなって思ってたんだ。同じ街角に、それぞれ違った思い出があったり、時を隔てても似たような記憶があったり。それは俺の執筆テーマでもあったんだ。
あいつに教えてもらった豚カツもモツ煮込みも、いつか店をめぐって食べておきたい。東京であいつと飲み歩いたのは1回だけだった。両国・森下界隈で五軒くらいハシゴして、夜道をぶらぶら散歩しながら帰った。あいつは近年お酒を飲むようになって、俺は酒をがぶ飲みできない身体になって。
あいつが小学生のころに描いた漫画「ファミコン野郎」。ゲームを取り合う兄弟の日常(闘争)が描かれ、見事に機器を奪取した弟は徹夜でゲームをする。最後のコマは顔のアップで、目が血走っていた。「目真っ赤」という添え書きが俺たちの笑いのツボだった。いつもそう言われて親に叱られていたから。
遺影を選ぶ。
十年前に写真館へ行って家族みんなで撮った写真。あの時、これが遺影になるのか、なんて冗談を言っていたわけだが。まさか、老いた両親よりも先に、おまえの写真を選ぶことになるなんて。親不孝するなら俺だろうと思っていた。
あの背中を見ていたら、先には逝けないよ。
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