9月18日(金)
函館大妻高等学校で、8月24日に急死された
外山茂樹理事長・校長先生の学園葬がおこなわれた。
◆学校正面の桜とツツジの並木。風は涼しいが、まだ晩夏の風景だ。
◆午前中は生徒たちが参列した葬儀。
読経はなし。
祭壇に向かって、生徒会長と池田校長先生の弔辞が読み上げられた。
茂樹校長の死を、ふたたび実感する。悲しい。
午後からは、卒業生・関係者・一般会葬者に向けた学園葬。
とくに学校から依頼されたわけではないが、池田校長の許可をもらって
葬儀とその前後の様子を写真に残していく。
茂樹校長の葬儀は、こんなに天気の良い日でした。
会葬者が訪れる様子を撮影していると、
学校に隣接する校長先生宅から、喪服に身を包んだご家族が。
奥様と目線があって、遠慮すべきだったのかも知れないが、
思わず歩み寄って挨拶する。いや、しようとした。
奥様と二人のご子息の前に立ち、僕は何も言えず、なんと言って良いのかわからず、
ただただ口ごもって、たぶん顔はくしゃくしゃになりそうで。
奥様とは、昨年秋に食物健康科の生徒がボランティアで参加したイベント会場で、
一緒にヤキソバを売るお手伝いをした。
奥様が容器に輪ゴムをかけ、校長先生が袋に入れたお客に渡し、
生徒のひとりがお金を受け取り、僕が長蛇の客をさばき呼び込みをした。
なんだか、急にそのときのことを思い出して、
「いやぁ働かされちゃったなぁ」と笑っていた校長先生の顔とか、
一緒に笑っていた奥様の顔とか。あれは、たったの1年前のこと、か。
高山さんですよね。と、声をかけられて、ようやく挨拶をする。
長男は今年大学院を卒業して就職したばかり。次男は大学3年生だったはず。
春に、校長先生から、ここに就職したから、とご長男の名刺をいただいた。
ご次男は学業とともに、アルトサックスのアマチュア演奏家(ジャズミュージシャン)であり、
よくライヴの音源を校長先生からいただいたものだ。
読経が始まって、ひとりの先生が僕にイスを用意してくれた。
撮影はカメラマンの小泉さんに任せて、僕はカメラを置いて会場のいちばん後ろから
ぼんやりと祭壇を見つめていた。
西尾市長(お母様が卒業生)、PTA会長、同窓会長、生徒会長、
そして池田校長の5人が弔辞を読み上げた。
どれも、茂樹校長先生の思い出を語る良い弔辞だった。
もう、泣くまい、と思っていたのだが、
最後の池田校長の弔辞で泣いてしまった。
悲しさ、そして、この日、なにかしらの区切りがつくことの寂しさと。
◆卒業生のみなさんも多く訪れていた。
「校長先生というより、私たちにとっては、
茂樹ちゃん茂樹ちゃんって呼んでいた記憶がありますからね。
ほんとうに、ついこのあいだ、還暦のお祝いをしたばかりだったのに。」
葬儀のあと、また、学校の庭園でぼんやりしていた。
ふと足もとを見ると、他の葉よりも早めに紅葉した枯葉が落ちていた。
茂樹校長が見つめていた今年の葉は、この秋にはすべて枯れ落ちてしまうだろう。
しかし、それは枯れて落ちて去ってしまうのではない。
枯葉は庭の木々を育てる養分となって、来年の春には新たな葉を生む。
同じだ。茂樹校長先生の思いは、
これからも新しい芽を生み、葉を育て、大きな幹となっていく。
合掌
函館大妻高等学校で、8月24日に急死された
外山茂樹理事長・校長先生の学園葬がおこなわれた。
◆学校正面の桜とツツジの並木。風は涼しいが、まだ晩夏の風景だ。
◆午前中は生徒たちが参列した葬儀。
読経はなし。
祭壇に向かって、生徒会長と池田校長先生の弔辞が読み上げられた。
茂樹校長の死を、ふたたび実感する。悲しい。
午後からは、卒業生・関係者・一般会葬者に向けた学園葬。
とくに学校から依頼されたわけではないが、池田校長の許可をもらって
葬儀とその前後の様子を写真に残していく。
茂樹校長の葬儀は、こんなに天気の良い日でした。
会葬者が訪れる様子を撮影していると、
学校に隣接する校長先生宅から、喪服に身を包んだご家族が。
奥様と目線があって、遠慮すべきだったのかも知れないが、
思わず歩み寄って挨拶する。いや、しようとした。
奥様と二人のご子息の前に立ち、僕は何も言えず、なんと言って良いのかわからず、
ただただ口ごもって、たぶん顔はくしゃくしゃになりそうで。
奥様とは、昨年秋に食物健康科の生徒がボランティアで参加したイベント会場で、
一緒にヤキソバを売るお手伝いをした。
奥様が容器に輪ゴムをかけ、校長先生が袋に入れたお客に渡し、
生徒のひとりがお金を受け取り、僕が長蛇の客をさばき呼び込みをした。
なんだか、急にそのときのことを思い出して、
「いやぁ働かされちゃったなぁ」と笑っていた校長先生の顔とか、
一緒に笑っていた奥様の顔とか。あれは、たったの1年前のこと、か。
高山さんですよね。と、声をかけられて、ようやく挨拶をする。
長男は今年大学院を卒業して就職したばかり。次男は大学3年生だったはず。
春に、校長先生から、ここに就職したから、とご長男の名刺をいただいた。
ご次男は学業とともに、アルトサックスのアマチュア演奏家(ジャズミュージシャン)であり、
よくライヴの音源を校長先生からいただいたものだ。
読経が始まって、ひとりの先生が僕にイスを用意してくれた。
撮影はカメラマンの小泉さんに任せて、僕はカメラを置いて会場のいちばん後ろから
ぼんやりと祭壇を見つめていた。
西尾市長(お母様が卒業生)、PTA会長、同窓会長、生徒会長、
そして池田校長の5人が弔辞を読み上げた。
どれも、茂樹校長先生の思い出を語る良い弔辞だった。
もう、泣くまい、と思っていたのだが、
最後の池田校長の弔辞で泣いてしまった。
悲しさ、そして、この日、なにかしらの区切りがつくことの寂しさと。
◆卒業生のみなさんも多く訪れていた。
「校長先生というより、私たちにとっては、
茂樹ちゃん茂樹ちゃんって呼んでいた記憶がありますからね。
ほんとうに、ついこのあいだ、還暦のお祝いをしたばかりだったのに。」
葬儀のあと、また、学校の庭園でぼんやりしていた。
ふと足もとを見ると、他の葉よりも早めに紅葉した枯葉が落ちていた。
茂樹校長が見つめていた今年の葉は、この秋にはすべて枯れ落ちてしまうだろう。
しかし、それは枯れて落ちて去ってしまうのではない。
枯葉は庭の木々を育てる養分となって、来年の春には新たな葉を生む。
同じだ。茂樹校長先生の思いは、
これからも新しい芽を生み、葉を育て、大きな幹となっていく。
校長先生、心からご冥福をお祈りいたします。
先生からいただいた多くのものを、すぐさまお返しすることは
僕の能力では間に合いません。
だから、少しずつですが、この学校のために僕ができることを、
お手伝いしていこうと思います。
先生からいただいた多くのものを、すぐさまお返しすることは
僕の能力では間に合いません。
だから、少しずつですが、この学校のために僕ができることを、
お手伝いしていこうと思います。
合掌
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